高校の同窓会名簿が来た2010/10/16 12:34

今年、創立100周年。高校にいるときに、創立75周年の新聞を作ったことを、昨日の様に覚えている。

ぱらぱらめくると、御手洗冨士夫さんの名前がひっそりと載っている。自宅住所以外、情報はないけど。

WikiPediaによると、うちの高校は卒業していないらしい。なんで、載ってるねん\(^o^)/

ちなみに、キヤノン創業者の御手洗毅さんは、中学3期生。こっちは、いろいろと学校や田舎に寄付してくれた。

Mercury会2010/09/10 22:37

年度の半ば近くで、予算案の承認を取ろうっていうのは、相当違うと思う。

予算なら、年度が始まる前に、きちんと承認を取るべきだ。

変なこと、言ってるかな?

少なくとも、曲がりなりにも経営学修士コースだぜ?たぶん、日本のトップクラスの。それくらい、普通に疑問に思おうぜ。

高校時代は2010/08/14 18:49

新聞部に所属していた。

最初に入ったのは、軟式テニス部。

中学時代は、これでも、郡の大会を勝ち抜いて県体まで行ったのである。しかも、県体で大分県で2番目に強いペアに勝った。チームは負けたけど。そう、軟式テニスは、ペアで試合をする。サービスができない(あんなとこにボールが打ちこめるか。それと、サービスの練習をしてたときに、冬場だったのだが、ラケットを思い切り振りおろしたら、握力がなくてラケットは地面に激突。壊れたというイタイ思い出もある)ため、ボクは前衛。ボレーだとか、スマッシュだとか、恰好いい攻撃は前衛の仕事。拾えなきゃ、よろしくって、後衛に頼めばいい。

後衛は、キャプテンのしげちゃん。前衛は副キャプテンのボク。つまり、キャプテンと副キャプテンがペアを組んだのだ。しげしげぺあである。中学3年生の時のクラブの顧問は、新卒で日本農業大学相撲部出身の先生。当然、テニスなんてしたことがない。それで、よく県体まで行けたものだ。すげぇだろ

高校のテニス部は、体がついて行かなくなるので辞めた。ボクのヘタレは、ここが原点。友達に誘われて、新聞部に入った。部室が教室の近くだったからってな理由があるかも。

当たり前の話ではあるが、新聞部とは、記事を書いて、新聞を発行する部である。しかし、このブログをみると分かるであろうが、文章力がない。中学時代、ガラにもなく詩を書いていたりしたのだが、散文は書き散らせても、人に読んでもらうための文章なんて書いたことがなかった。当時の原稿用紙は、1行15文字、20行の300字詰め原稿用紙だったのだが、これが意外にも量が多い。いや、少ないか。散文的に書くと、足りない。論理的に書くと、取材が足りていないのが分かる。

うちの新聞は、商業紙と違って、記事を企画し、割り付けを考えてから、書き始める。すると、当然のように書かなければならない文字数が規定される。書くテーマも決まっているから、相当鍛えられた。最初は原稿用紙1枚にも満たない、校内のニュース記事書かされるんだけど、部長に何度も突き返された。何が伝えたいのかわからん。主語がない。取材が足りない。それで、記事書くより、写真撮るほうに逃げた。まぁ、このときに、段落を工夫すると、指定字数より少ない字数で、紙面を埋めるチートを開発したのだが。つまり、段落の最後の行は、2文字くらいで終わるの。あと、わざと漢字を使わずにかなで書いたり。

しかし、写真こそ、記事書くより難しいのである。記事は、書き直せる。でも、シャッターチャンスは二度と来ない。一発勝負なのである。しかも、構図がどうたらとか、ピントがとか、うるさい先輩が多い。実際、写真学科に行った先輩もいるほど。でも、ばしばし撮ることができた。部費はものすごかった(年間60万円を学校からもらい、ブランケット版を年4号、タブロイド版を年2号出していた。それぞれの、新聞には、近所のお店の広告をとってたので、それがブランケット版だと1号あたり10万円別途入ってきた)ため。100ftのロールでフィルムを買い、自分でパトローネに巻いて、写真を撮り、自分でフィルムを現像し、自分で印画紙に焼き付ける。

せっかくいいチャンスでフィルムに収めても、現像に失敗すれば、すべてパー。県体を含む、各種行事は、一発勝負。だから、1日に一人で何本もフィルムを消費する。一コマだけじゃなく、露出を変えて何コマか撮る。そう、マニュアル露出のカメラ使ってたのだ。リスク管理と自己責任の概念は、たぶんこのころに学んだ。そんな言葉は、知らなかったけど。

本当に、よく写真を撮った。明るい外での撮影。暗い教室や部室での撮影。新聞部の部室で写真撮っても、誰も嫌がらないし、ふだんの高校生の姿が撮れる。その当時は、そんなこと、意識してやってないけど。

そして、2年の夏が終わったころ、なぜか部長になっていた。記事が書けない部長。写真と、見出しと、校正に命を懸ける。後輩は、ボクが記事を書けないことを知らずに、ボクから書き直しを命ぜられる。いやぁ、理不尽だ。見出しに使ってる漢字で、国語の教師とケンカしたことがある。最終的には、辞書に載ってるってことで、新聞部の正しさが証明された。

取材のために、学校を休む(公休)わ、夜の2時くらいまで印刷屋さんで校正やら写真の焼き付けやら、してて、何度同級生の親からクレームが来たことか。このころになると、同級生は全員女の子だけになってしまってた。女の子を夜の2時まで働かせる。なんて、罪深いやつ。しかし、印刷屋さんで夜食べる出前のラーメンのなんと美味かったことか。

おかげさまで、大分合同新聞社から、表彰され、小さいけど商業紙に写真が載った。表彰には、当時の顧問の運転する車で大分市まで行ってきた。後から知ったことだが、当時、免許取りたて。帰りに昼ご飯をおごってもらった。これも、美味かった。たぶん、今行くとまずくて食えないだろうが、当時はそれでもすごいごちそうだった。

その顧問も、今は高校をリタイアして、別府大学の准教授をやってるらしい。

いまでも、この時代が一番生き生きとした、青春時代だったんだなって、そう思う。

同窓会、行きたかったな。

同窓会2010/08/14 18:12

今日だったみたい。

モクソンが、ちゃんと忘れずに電話かけてきてくれた。うれしいね。そんで、工藤さんに代わってくれた。高校3年生の時の担任で、今は校長やってる。

今でも、思い出すね。名古屋大学の工学部に推薦してくれといったら、怒られた。当時は、核融合に未来があると信じていて、それを学びたいけど、2次試験に英語があって、敷居が高かった。でも、彼は行きたいのならちゃんと受験して入学しろと。結局、入ったのは名古屋じゃなくて大阪大学の物理学科。原子核物理学第二講座、通称、江尻研。核融合じゃなくて、核分裂っていうか、ニュートリノ検出の検出器の材料選定が、ボクの仕事だった。2週間に1回、資料を取り替えて、取得したデータを分析し、、、っていうと恰好いいけど、実態は鉛と無酸素銅のブロックを積んでは壊しの力仕事。

話を高校時代に戻すと、卒業式も出ずに、早稲田大学→大阪大学→大阪府立大学の受験ツアーを行った。親戚のうちを泊まり歩きながら。結果、早稲田は数学と英語で撃沈、大阪府大は親が行かせない、ってことで合格発表も見に行かず。その日に手続きとらなきゃ合格扱いにしてくれないから、これもアウト。阪大は、、、テストの5分前に数学の2問目で計算間違いしてることに気付いた。後の問題は、その答えを使って出すから、ほぼ全問答えは間違ってる。それで、受験ツアーから帰って、学校に行って報告をした。たぶん、不合格。すると、学校の先生方が手配して、福岡の河合塾に特待生で入れるようにしてくれた。

合格発表の日、書留が届いた。入学手続きの資料。やった、合格した。生まれて初めて、飛び上がって喜んだ。学校にも、連絡した。みんな、喜んでくれた。

しかし、実は入るところを間違っていた。勉強に全く付いていけない。1年の夏休みには、気づいてた。

癒される話も。田舎の年寄りから、どこの大学に入ったのかと聞かれ、大阪大学ですって答えた。その年寄りは、こう言って慰めてくれた。かわいそうにのう、大分大学にもいけんかったんか\(^o^)/

田舎は、侮れないものである。

ちなみに、会社入った時も同じように、どこの会社入ったんかって聞かれ、富士通ですって言ったら、はて、どこの運送会社かのう\(^o^)/

うそのようだが、実話である。

昨日のことですが2010/08/14 07:56

久留米の郵便局で、宴会部長営業部長をやってる友達から携帯メールが来ました。NTT docomoのデコメで。ボクのNokiaだと、docomoのデコメ読めないんだよね。htmlファイルなんだけど、本文がメールの最後にattとかいったファイル名でくっついてるから。att.txtとかの名前だったら読めるのに。

ちなみに、auのデコメは素直に読めます。SoftBankだと、デコメ自体はサーバに配置されて、ブラウザ使って問題なく読めます。代わりに、本文だけじゃ、わけわかめ状態ですけどね。

メールの内容は、

明日の
同窓会でるの?

です。が、動くGIFファイルなので、デコメになってる。

残念ながら、お金と仕事の関係でいけないので、ボクの3年の時の担任捕まえて電話して来いと、頼んだ。よっぱらって、忘れてなかったら、するわ。友達ってうれしいね。

でも、同窓会って、確か8月15日だったと思うので、彼女何か勘違いしてると思う。

仕事っていうのは、8月16日に、今作ってるプログラムの定例会。京都で。スーツ着てくのを忘れないようにしなければ。